
Polyglotとは明確な定義はないものの、複数の言語を一定のレベルで喋れる人を指す。通常は3ヶ国語か4ヶ国語以上を流暢に喋れる人を指すことが多い。
多言語話者でいることは現代のグローバル化の進んだ経済の中で、圧倒的にメリットの方が大きい。
メリットとデメリットについて個人的な見解をまとめてみる。
5つのメリット
メリット①
特に英語ができると、あらゆる無料の勉強サイトやドキュメンテーションを活用することができる。
Khan Academy(無料)やSkillshare、Udemy等をより幅広く使えるということだ。
このようなサイトは、日本語でも学べるがコンテンツが限られていたり、そもそも英語でしかコースがないということが多い。
別のスキルを学ぶための、根本的なツールとして英語が非常に役に立つということだ。
特にプログラミング系のリソースは英語の方が資料が圧倒的にわかりやすい。
その類の日本語の説明は無理やりカタカナを大量に使ったりしていてわかりやすいとは言い難い、と考える英語話者の日本人は多い。
メリット②
国際交流の幅が広がる。
異文化交流をその言語圏の人とすることにより、お互いの文化についての共通点や相違点を知ることができ、その国の国民性と文化について知見を深めることができる。
また、改めて自国の文化や国民性について俯瞰してみてみるきっかけにもなる。
メリット③
一つのテーマを複数の角度からみるためのきっかけになる。例えば特定の法律や制度が敷かれたとき、時間軸と空間軸を広げて考えるということが有効だ。
過去にこの国でそのような事例があったのかどうか、また現在、そして過去に他の国で似たような制度はあったのか、ということを調べることができる。
例えば水道民営化、治安維持法のような法律を時間軸と空間軸を広げた状態で調べる際に他の言語ができると情報源が増える。
メリット④
どこの国にいても、周囲の人が高確率で理解できない言語を喋ることができる。これは暗号として使えるということだ。
海外に行けば日本語は高確率で暗号となる。
喋れる複数の言語が全然系統の違う言語の場合なお有効だ。(例:フランス語、中国語、アラビア語、ドイツ語)
しかし注意点としては、例えば日本語を暗号として使う際に「高い」「安い」等有名な単語についてはあえて「高額」とか「財布に優しめだね」という要領でもう一段階セキュリティを強化した方が良い。
世の中には意外と予期せぬところに多言語話者が潜んでいることもあり、実は会話の内容のほとんどを理解されていた、ということもある。
特に面白いのは顔と言語に隔たりのある時だ。例えば韓国人の顔でアラビア語の上級話者、とかフランス人の顔で母国語話者なみの純度の中国語を喋れる、という場合だ。
その顔でその言語を喋れるのは唯一無二を極めているという印象になる。(笑)
メリット⑤
他の多言語話者に会った時、そこで共通言語が複数ある場合、気分次第でどの言語でも会話ができる、という特権がある。
例えば共通言語が三つあればトリプルブート(OSが三つ入っているパソコン)のようなもので、いつでもどのOS(言語)でも喋れますよという状態だ。
更に特定の言語にしかない言葉や概念、微妙なニュアンスの違い(subtle differences, connotations)を表現したい時、その文脈で最適な言葉を別の言語を借りて使うことができたりして、むしろ伝わりやすいということもある。
しかしこれをやり過ぎるともはや二つの言語を混ぜているという状態になり半分英語を混ぜて喋るマレーシア人のマレー語や、半分英語やスペイン語のタガログ語(フィリピン)のようになりかねない。
もっとも言語は常に進化をしているものなので、その是非については問わないことにする。
唯一のデメリット
デメリット①
デメリットになりうることとしては、複数の言語を上級者として喋るという技術を維持するために日々、学習と復習が必要になってくる。
気をつけていないと、全て中途半端になってしまうという事例も往々にしてある。
マルチリンガルな環境で育った子供は一つの文章で三つの言語を使ったりしていてもはや新しい言語が派生している、というケースもある。
まとめ
多言語話者でいることは圧倒的にメリットのほうが大きい。そしてプログラミング系とは違ってアップデートに常に追いついていないと行けない!という焦燥感には駆られない。
母国語以外にもう一言語Cレベル(C1・C2)で喋れると人生がより豊かになる。
しかし言語はただのツールでしかないので、言語自体を目的とするのではなく、別のスキルと掛け合わせて威力を爆発的に上げていけば良いのだ。
今日も多言語話者を全うしよう。