
バイアスとは主に二つの意味がある。
一つはある事実を解釈を歪曲して伝えることだ。
ある一つの出来事についてその文脈や経緯を全く語らず、一部だけを切り取り、また誇張したりして伝えることだ。
例えばある人Aが一瞬で別の人Bの財布を奪ったとする。
実はAは天才的な人で、Bの後ろにCという人がいてその人が財布を奪う寸前だったところを察知した末Aが先取りして、Cに盗まれることを防いだ。
こんな話が仮にあったとして、AがBの財布を奪った瞬間だけを広く伝えられては全くの事実無根ということになる。
このような例はたくさんあって、スケールは様々ではあるが、ある出来事についてその経緯と文脈なしでは何も語れないということは往々にしてある。
二つ目は伝えなかった事柄や、省いた事柄があるということ。情報を伝える側が、「何を省くか」を決めている。そのフィルターには良くも悪くもバイアスがかかっている。
近代史において、日独伊はファシズムに走った暴走国家という一般的に広い認識がある。
ナチスの行った残忍なユダヤ人虐殺、大日本帝国が行った大東亜共栄圏という、西洋列強国から独立したアジア人に尊厳を、という大義名分のもとにアジアの随所で殺戮行為をしたことは有名だ。
歴史的事実であり、正当化も許されることもできない。
一方で他にも同じ規模、ないしはより大きな規模で大虐殺が歴史上では多々起きているが、ヒトラーよりも著しく知名度が低い歴史上の人物が多い。
例えばベルギー国王レオポルド2世。
「コンゴ自由国」を私有するという形で植民地支配をした国王は、象牙とゴム採取のため、現地人に達成不能なノルマを課せ、強制労働をさせ、達成できなかった場合は酷いやり方で虐殺した。推定1000万人が死亡したと言われている。
なぜドイツや日本の第二次世界大戦で行ったことの方が有名かと言うと、歴史は勝者によって作られ、都合よく語れるからだ。
欧米列強の行った植民地支配は、惨さに程度の差はあるものの基本的には酷いものばかりで、特定の事例だけが強調・認知されるというのは歪んだ認知を生じさせかねないのではないだろうか。
この記事にも、「書かなかったこと」が多くあるので、それは良くも悪くもバイアスがかかっていることになる。
全てにバイアスがあることをなるべく認知しつつ、少しでも事象を客観的に捉えられるように努めたいと思う。